趣味の社会学ー文化・階層・ジェンダー 文化資本のジェンダー非対称性を巡る予感

 男声は階層差や階層文化の差を、学力=メリットへと転換することで、学歴競争といいながらも知能あるいは頭脳による正当性確保の競争に明け暮れている。男性は学歴という記号で知能を保証することで自らの正当性やランクを実感しているのに対し、多くの女性は文化の優越性によって自らの正当性を実感しているのではないだろうか。

(p227-228)

男は正統趣味を身に着けていても早期に学歴に転換されてしまうため、持ったところで意味をなさないことを示唆している。男性に必要なのは大衆文化≒つきあい文化であり、大衆文化への親和性が高ければ労働市場における成功を獲得しやすくなる。

今回の分析では、大衆趣味を拒否し正統趣味を受容する、文化的排除型の男については言及されていない。そもそもそのような性向はごく一部の文化的職業に就く者のみにしか存在せず、一般化するにはあまりに母数が少なすぎるからだ。ただし筆者は、そのようなケースは、却って労働市場の成功において悪影響を及ぼすことを仄めかす。

出自の地位が高い文化的エリートは、大衆化戦略を採ることで階層的なルサンチマン(上位者へのねたみ)を回避していると考えられる。とくに会社組織のような多様な人間関係のなかで成功するためには、ハイカルチャーを示すのではなく、いかに大衆文化的になれるか(宴会芸やカラオケ)がむしろ求められる。仕事中心主義の男性ハイカルチャー消費者ほど大衆文化摂取が多いという結果はこのことと無関係ではない。

(p139)

男は子供の時は学歴競争に、大人になれば出世競争に否応なく巻き込まれ、その場における成功という賭金を巡った承認闘争に駆り立てられる。出世闘争に有利になるための文化資本は大衆趣味の受容度であり、受容度が高いほど「ノリがいい」と組織に評価され出世を勝ち取ることができるようになる。ところが大衆文化を受容できなければ「あいつはノリが悪い」という誹りを免れず、結果、闘争の落伍者と化してしまう。

正統趣味の受容度の高さは闘争を勝ち取るための有利条件とはなりえない。もし正統趣味をひけらかそうともなれば「あいつはお高くとどまってやがる」と陰口を叩かれる。つまりスノッブー上品ぶった、いけ好かないロクデナシーのレッテルを張られ、社会的排除を受けることになる。